地域でつなぐACP推進事業 -入院を起点とした継続的対話モデル- への期待

意思決定は、なぜリセットされてしまうのか

在宅医療連携の現場に関わる中で、ずっと感じていることがあります。それは、「意思決定がつながっていない」ということです。

入院するたび、退院するたび、そして急変のたびに、その都度、「どうしますか」と問い直されています。

もちろん、その問いは必要です。
しかし本来、本人の意思や価値観は、その都度“作り直されるもの”ではなく、時間をかけて積み重なっていくものです。

これまでACPが地域で取り組めるよう取り組んできました。一定数の医療職の方やケアマネジャーは既に実践しています。
しかし多くの現状では、医療と介護の場面ごとにその対話が分断され、結果として意思決定が「リセット」されてしまっているのです。
ここに、地域としての大きな課題があると考えています。

入院という「これからを振り返る機会」を活かす

これまでACPは、「いつ始めるかが難しい」と言われてきました。
ケアマネジャーの皆さんは、「ACPの取り組みの必要性は理解できるが、平時(病状の安定期)に利用者へACPを持ち掛けることはタイミングとして難しい、きっかけが必要」という声が多く聞かれました。
確かに、日常の安定した生活の中で切り出すのは容易ではありません。

一方で、入院した場合はどうでしょうか。
患者・家族にとって、今後の生活や医療のあり方を考えざるを得ないタイミングであり、医療者が自然に関わることができる場面でもあります。

そこで、入院を「起点」にしてはどうかと考えたのです。

大きなことをする必要はありません。「これから大切にしたいことは何ですか」
その一言を問いかけ、一行だけ記録に残す。

その小さな対話が、退院後の在宅療養につながり、再入院時にまた引き継がれていく。

「決める」から「育てる」へ

意思決定とは、一度決めて終わるものではなく、状況に応じて変化しながら“育っていくもの”、“変わっていくもの”です。

医療の場面だけで完結させるのではなく、在宅、施設、そして再入院と、地域全体で対話をつないでいく。

その仕組みを整えることが、これからの在宅医療に求められているのではないでしょうか。

迷わない地域とは何か

「迷わない地域」と聞くと、迷いが存在しない状態を想像しがちです。
しかし実際には、医療において迷いがなくなることはありません。
重要なのは、その迷いを“個人に背負わせない”ことです。

地域の中で支え合いながら、迷いながら意思決定ができる状態、それこそが「迷わない地域」なのだと思います。

今回取り組もうとしている「地域でつなぐACP推進事業 -入院を起点とした継続的対話モデル-」は、決して新しい仕組みを一から作るものではありません。

今ある医療と介護の間に、「対話をつなぐ流れ」を取り戻す取り組みです。

まずは無理のない形で、小さく始める。
その積み重ねが、地域の医療・介護文化をつくっていく。

そのような視点で、関係機関の皆様と共に検討を進めていければと考えています。

私たちの任務かどうか引き受ける態度で「私たちは何者か」が決まる

時折、過去の自分に出会い直すような瞬間がある。先日、2022年に医療ソーシャルワーカーの全国大会シンポジウム「我々は何者なのか? 過去、現在から未来に向けて考える」で私が講演した資料が、ひょんなことから出てきた。

読み返してみると、不思議な感覚になる。「ああ、そうだな」と素直に思う。自分で書いたものだから当然なのだが、同時に、今の実践の中でもなお有効な問いがそこに残っていた。

当時、私は少し挑発的な立場をとっていた。「私たちは何者か」を問うべきなのは、私たち自身ではない。
それを規定するのは、常に“他者”である。

医療ソーシャルワーカーとは何か。どれだけ制度に位置付けられ、診療報酬に明記されたとしても、社会や住民がその存在を認識していなければ、それは「何者でもない」に等しい。

にもかかわらず、私たちはしばしば、自分たちの役割を自分たちで定義しようとする。それはどこか内向きで、自己完結的で、そしてどこか「安全」な営みでもある。

在宅医療・介護連携の現場では、よくこう問われる。

「で、どうすればいいんですか」

入退院時の連絡が来ない。
来ても内容が使えない。
担当者によって質がばらばら。

これは医療ソーシャルワーカーに限った話ではない。
多くの職種が、制度や環境の制約の中で仕事をしている。

「診療報酬で決められているから」
「所属機関の方針だから」
「時間がないから」

確かに、それらは事実である。
しかし同時に、それらは「できない理由」としても機能してしまう。

ここで問われるべきは、能力や制度ではない。
その課題を「自分たちの任務として引き受けるのかどうか」という態度である。

かつて、社会福祉士が診療報酬に明記される以前、医療ソーシャルワーカーは医療機関の中で極めて曖昧な存在だった。

院内の「何でも屋」。
どこにも属さず、しかしどこにでも関わる。

それは裏を返せば、「境界を持たない職種」でもあった。

だからこそ、常に問われてきた。
これは仕事(work)なのか、それとも単なる労働(labor)なのか。

この問いに明確な答えはない。
しかし一つ言えるのは、医療ソーシャルワークとは本来、制度や役割の外側ににじみ出る「社会の困りごと」を扱ってきた実践だったということだ。

「これがなければ医療ソーシャルワーカーではないもの」

「私たちは何者か」を直接問うよりも、
「これがなければ医療ソーシャルワーカーではないものは何か」と考える方が、本質に近づくように思う。

なぜなら、私たちの対象は常に変化してきたからだ。

医療、介護、生活、地域—
その境界は揺れ続けている。

であれば、固定された役割や機能ではなく、どのような課題に向き合い、何を引き受けてきたのかこそが、その職種の輪郭を形作る。

近年、医療ソーシャルワーカーの世界にも、ある種の“短期志向”が広がっているように感じる。

いかに制度に位置付けられるか。
いかに現在の業務の価値を最大化するか。

もちろん、それ自体は重要である。
しかし、それだけでは「今良ければいい」という思考に陥る。

かつて、精神保健福祉士法案をめぐる議論があった。
その本質は、制度の是非ではなく、
「未来に向けて、私たちは何者であるべきか」という問いだったはずだ。

長期的な視点で、自らのあり方を問い続ける。
その営みこそが、職種の価値を形作っていく。

ここで改めて考えたい。

私たちの任務とは、あらかじめ決められているものなのだろうか。

確かに、制度や職務記述は存在する。
しかし現場で起きている問題の多くは、その外側にある。

入退院連携のほころび。
意思決定の宙づり。
地域での孤立。

それらに対して、「それは私たちの任務ではない」と線を引くのか。
それとも、「これは自分たちの任務だ」と引き受けるのか。

その選択の積み重ねが、結果として
「私たちは何者か」は外側から規定されていく。

境界を引くほど、取りこぼしは増える

世界を正確に理解しようとすればするほど、私たちは物事を分解し、区別しようとする。しかし、部分を精緻にすればするほど、全体はその分だけ広がっていく。

つまり、「ここまでが自分たちの仕事だ」と明確にすればするほど、「それ以外」は誰の仕事でもなくなっていく。そしてそこに、社会の困りごとが取り残される。


結局のところ、「私たちは何者か」という問いに、先に答えはない。あるのは、日々の選択だけである。

その課題を引き受けるのか
見送るのか
関わり続けるのか
手放すのか

その一つひとつの態度が積み重なり、後になって「あれが私たちだった」と語られる。

医療も介護も、そして社会そのものも変わり続けている。薬剤師は対人業務へ、医師は社会的処方へと役割を広げている。それはすべて、「社会からの要請」に応じた変化である。

であれば、医療ソーシャルワーカーもまた、あるいは在宅医療・介護連携に関わる私たちもまた、
問うべきは「何者か」ではない。

目の前の課題を、自分たちの任務として引き受けるのかどうか。

その態度こそが、これからの私たちの輪郭を形作っていくのだと思う。

連携拠点は「情報生産者」になれるか

― 現場から考える在宅医療連携拠点の新しい役割 ―

地域で在宅医療・介護連携の仕事をしていると、よく感じることがあります。それは、私たちが普段触れている情報の多くが「外から来たもの」だということです。国の政策、他地域の先進事例、研究報告、研修資料。どれも大切な情報ですが、ふと立ち止まって考えると、私たちはそれらを学び、地域に紹介する「情報消費者」になっているだけではないだろうか、という疑問が浮かびます。

社会学者の上野千鶴子さんは、「情報消費者ではなく情報生産者になろう」という言葉を語っています。この視点は、在宅医療の連携拠点の役割を考えるうえでも、とても示唆的だと思います。

在宅医療の現場では、日々さまざまな出来事が起きています。退院支援の調整がうまくいった事例、連携が難しかった事例、在宅での看取りを支えた経験、あるいは救急搬送を巡って悩んだケース。これらは一つひとつが地域の現場で生まれた貴重な経験です。しかし多くの場合、それは個別の出来事として終わり、地域の「知識」として整理されることはあまりありません。

ここに、連携拠点の新しい役割があるのではないかと考えています。

私たちの仕事は、単に会議を開いたり、研修を企画したりすることだけではありません。地域で起きている出来事を丁寧に集め、その中に共通する課題や構造を見つけ出し、それを地域の知識として整理すること。そして、その知識を地域の中で共有し、さらには外へ発信していくことです。

例えば、地域ケア会議や多職種連携の場では、個別事例の検討が行われます。そこでは「なぜこの調整は難しかったのか」「どの段階で連携がうまく機能したのか」といった議論が交わされます。こうした対話の中から見えてくるのは、単なる個人の問題ではなく、地域の仕組みや関係性の課題です。

もしそれらの経験を丁寧に整理すれば、地域特有の連携の特徴や課題が見えてきます。そしてそれは、同じような悩みを抱える他の地域にとっても役立つ知見になるかもしれません。

「地域の実情に合わせて」という言葉は、在宅医療の議論でよく使われます。しかし本当に大切なのは、その「実情」がどのような経験や工夫から成り立っているのかを言葉にし、共有することではないでしょうか。

連携拠点が情報消費者から情報生産者へと役割を変えていくとき、地域の現場で積み重ねられてきた経験は、単なる日常の出来事ではなくなります。それは地域医療の未来を考えるための知識として、新しい意味を持ち始めます。

在宅医療の連携は、制度やマニュアルだけで完成するものではありません。地域の現場で生まれる経験や対話を通じて、少しずつ形づくられていくものです。

連携拠点とは、その経験を記録し、整理し、社会に伝える場所でもある。

そんな役割を、これからの拠点は担っていくのだと思います。

在宅医療を増やすだけでは足りない ― 医療資源を守る「地域文化」という視点

昨年2月、医療情報サイトの記事で興味深い取り組みを知った。
北海道由仁町の診療所が警備会社ALSOKと連携して始めた「診療所駆けつけサービス」である。

このサービスは、由仁町立診療所に通院しているかどうかに関わらず、月額462円で利用できる。体調の急変など緊急時には警備会社を通じて医療機関へ連絡が入り、必要に応じて往診につながる仕組みだという。

サービスの仕組み自体も興味深かったが、記事の中で特に印象に残ったのは、由仁町立診療所の島田医師の次の言葉だった。

この言葉には大きな示唆がある。
在宅医療を「増やすこと」だけを目的にするのではなく、地域全体の医療資源をどう使うかという視点で考えている点である。

私の住む北見地域でも、医療資源の減少は年々深刻になっている。これは北見に限った話ではなく、多くの地方都市が抱える共通の課題だ。

そのため各地で様々な取り組みが進められている。
例えば、主治医・副主治医制の導入による医師の負担軽減、ICTを活用した多職種間の情報共有、ACP(人生会議)の推進などである。これらはいずれも、医療・介護スタッフや住民の負担を軽減しながら在宅医療を支える重要な取り組みだ。

しかし、島田医師の発言が示しているのは、もう一つ別の視点である。


それは、医療資源が限られる地域だからこそ、地域全体で医療資源を最適に使うという「文化」を育てる必要があるという考え方だ。

島田医師は、かつて勤務していた長野県の佐久総合病院での経験について、次のように語っている。

ここで語られているのは制度やルールの話ではない。
地域の中に自然に根付いた医療の使い方の文化である。

人口減少が進む時代、地域の課題は数多い。医療資源の確保を、減少していく医療・介護スタッフの努力や工夫だけで解決するには限界がある。だからこそ、資源の確保と同時に、地域全体で医療資源をどう使うかという視点が必要になってくる。

昨年12月、北海道の在宅医療連携拠点事業の開始にあわせて、北見地域でも「北見在宅圏域多職種連携・ケアネットワーク」という医療・介護専門職のネットワークが立ち上がった。

発足会で講演された医師は、次のように話していた。

医療や介護の枠を超えた地域活動、例えば防災訓練や地域イベント、食事会など、一見すると医療とは関係のない活動が、実は地域のつながりを生み、在宅医療を支える土壌になっていくという。

地域づくりとは、制度を整えることだけではない。
人々の中に「それが当たり前だ」という感覚が、少しずつ育っていくことなのだと思う。

過剰な在宅医療や不要な入院を防ぎ、地域全体で医療資源を大切に使う。そうした考え方が、医療・介護職だけでなく地域の住民にも共有されていくこと。それが、医療資源の限られた地域でこれからますます重要になるのではないだろうか。

地域住民が医療資源の減少を危惧して行政に不満をぶつけるだけではなく、医療・介護職や行政とともに、地域の医療・介護資源をどう守り、どう使っていくのかを考える。

私が担当している「在宅医療に必要な連携を担う拠点」の役割も、単に医療機関同士をつなぐことではない。


地域の中に、医療資源を自分事とすること。暮らしと医療が「共存」する文化を育てていくこと。その視点の重要性を、今回の記事から改めて考えさせられた。

在宅医療の鍵は「暮らし」と「納得」

令和8年2月7日に開催された、第7回北見薬剤師会 学術大会のパネルディスカッションで「北見地域 における在宅医療の現状と課題 ―薬剤師とつくる“暮らしを支えるチーム”―」というテーマでお話しをさせていただいた。忘備録としてここに掲載する。

北見地域の在宅医療は、いま大きな転換点に立たされている。北網圏域の医師数は全国平均の半分以下で、訪問診療を担う医師も限られている。一方、介護現場では人材不足が深刻化しており、北見市ではこの3年間で介護職員が345人減少し、その4人に1人が60歳以上となっている。医療も介護も「人が足りない」時代に入りつつある中で、高齢者が住み慣れた地域で暮らし続けるためには、従来のやり方の延長ではもはや支えきれない状況である。
2040年には団塊の世代がすべて90歳以上となり、北見市では85歳以上人口が約1.4倍に増加する。一方で支える側の介護人材は今後さらに減少すると見込まれている。支える人が減り、支えられる人が増える社会の中で、在宅医療の「限界点」をどう引き上げるかが、地域全体の課題である。

現場では、本人が「最期は自宅で」と希望していたにもかかわらず、急変時に119番され、そのまま病院で亡くなるケースが少なくない。また、施設に入所していても、急変時や心停止時の対応について本人・家族と十分に話し合われていない例が多く見られる。つまり、「本人の意思」が医療・介護の関係者間で共有されていない現実がある。在宅医療・介護の本質は、単に「どう治すか」ではなく、「どう生きたいか」「どう最期を迎えたいか」を支えることにある。

さらに見逃せないのが、要支援者の“静かな重度化”である。北見市では要支援2の約27%が1年以内に状態悪化しており、通所介護やリハビリに通っていても機能が低下する人が一定数存在する。軽度の段階で生活を立て直せなければ、やがて中重度となり、在宅生活は困難になる。この「軽度者ゾーン」に医療職がもっと関わる必要があり、ここに薬剤師の役割が大きく関わってくる。

薬剤師と直結する現場課題の一つが「残薬」である。北見市の調査では、ケアマネジャーの約40%が残薬のある利用者を経験しているにもかかわらず、薬局に相談しているのは25%にとどまっている。訪問看護師には約50%が相談していることから、「どの薬を、どこで、どう飲んでいるか」がチームで十分共有されていない実態が浮かび上がる。残薬は「患者さんが悪い」から起きるのではなく、「その人の生活と薬が合っていない」サインである。残薬は問題ではなく、暮らしの困りごとが見える貴重な情報源なのである。

では、なぜ薬剤師に相談されにくいのか。その理由は「顔が見えない」「役割が見えない」からである。現場で接点の多い訪問看護師には相談しやすいが、「かかりつけ薬局はあっても、かかりつけ薬剤師が見えない」という声は少なくない。役割がイメージできなければ連携は生まれない。
「残薬問題を多職種で解決する」というテーマで開催した多職種研修会では、「残薬は“飲まない”のではなく、“飲めない”ことが多い」という共通認識が生まれた。薬が合っていないのではなく、生活に合っていないのである。ここに薬剤師が入ることで、“生活に合う処方”への再設計が可能になる。在宅医療では今、「指導」から「納得」へ、「伝達」から「伴走」へ、「薬を出す」から「暮らしを支える」へというパラダイムシフトが求められている。

薬剤師がチームに入ることで、内服は単なる医療行為ではなく「生活の一部」になる。ケアマネジャーは「この人の暮らしに、この薬は合っていますか」と相談できるようになり、それが再入院予防や重度化予防に直結する。薬剤師はまさに「生活と医療をつなぐ翻訳者」である。
北見では、適切なケアマネジメント手法を用いたケアプラン支援事業に多職種で関わり、令和7年度からは薬剤師会も参画している。薬剤師に求められる具体的な行動として、①ケアマネからの相談を気軽に受ける窓口になること、②退院時処方のチェックと共有、③居宅療養管理指導を活用した生活に即した服薬支援、④事例を薬剤師会で蓄積・共有することが挙げられる。

北見が目指す在宅医療の姿は、「地域が1つの病院のように機能分担する」こと、そして「多職種が本人の意向を共通言語にする」ことである。診断や制度ではなく、「この人はどう生きたいのか」という問いを中心にチームがつながる。その中で薬剤師は、「薬の人」ではなく「暮らしを支えるチームの一員」として前に出ていくことが期待されている。

在宅医療の鍵は、「暮らし」と「納得」である。薬剤師は、生活と医療をつなぐ重要な専門職であり、小さな連携の積み重ねが、やがて地域の仕組みとなる。今日の講演が、北見の在宅医療における新しい連携のスタートになることを願う。

専門性を「供託」するということ

―地域ケア個別会議がひらく、対話と多職種連携の可能性―

昨年、とある学会のシンポジストでお話しをした。最近その講演の原稿を校正する機会があり、改めて私が伝えたかったことをまとめてみたのでここに掲載する。

この仕事をしていて現場でよく耳にするのが、「連携しているはずなのに、なぜか噛み合わない」「会議はしているけれど、暮らしが良くなっている実感がない」という声だ。その違和感の正体は、私は「専門性の使われ方」と「対話のあり方」にあるのではないかと思っている。

■ 地域ケア個別会議は、誰のための場なのか

地域ケア個別会議は、本来、ケアマネジャーが抱えている困りごとを、多職種で一緒に考えるための場だ。ところが現実には、「医師としては」「看護師としては」「薬剤師としては」と、それぞれの立場から意見を述べる“専門性の発表会”のようになってしまうことが少なくない。そうなると、会議はいつの間にか「この人の暮らしをどう良くするか」ではなく、「誰の専門性が正しいか」「誰の意見が通るか」という場所取り合戦のような場になってしまうことがある。

私はこの状況に、ずっと違和感を持ってきた。「この会議は、いったい誰のための場なんだろう」。「私たちは、何のために集まっているんだろう」と。そこで令和5年度からこの会議の発言の際に適切なケアマネジメント手法における「基本ケア44項目」を使った会議運営に変更した。ケアマネジャーには、事例を出すときに「44項目のうち、相談したいことに当てはまる項目番号」を取り上げてもらった。そして助言をする他の職種は、挙げられた基本ケア項目はもとより、必要と考える項目をその理由を付して助言して頂くようにした。つまり「どの項目に関わる支援なのか」「なぜ必要なのか」「どう展開するのか」をセットで話すこととした。

自由に思いついたことを言うのではなく、「この人の暮らしにどうつながるか」を軸に発言するルールである。最初は「窮屈だ」「猿轡をはめられたみたいだ」と言われた。でも続けるうちに、会議の空気が変わってきた。

医師からは「顔が見える連携だけでは足りない。何のために集まっているのかを共有しないと意味がない」
薬剤師からは「会わない利用者さんの暮らしを想像して支えることが、私たちの仕事なんじゃないか」
そんな言葉が出てくるようになった。

■ 専門性を“供託”するという発想

私はこの変化を「専門性の越境」と呼んでいる。専門性を磨くこと自体は、とても大事だ。でも、それに固執すると、相手の世界が見えなくなる。一度、自分の専門性を横に置いてみる。そして患者さんや利用者に対し「この人の暮らしに何が必要なのか」を考える。そのとき、専門性は“目的”ではなく“手段”になる。言い換えると「専門性を供託する」というイメージだ。専門性は私のものだが、私だけのものではない。地域または会議という共有地にいったん差し出してこそ、別の使われ方が生まれる。

多職種連携とは、専門性を競い合うことではなく、専門性を“預け合う関係”をつくることなのだと思った。

■ 住民は「支援される側」ではなく「担い手」

もう一つ、大きな転換になったのが、住民主体の通いの場づくりだ。通いの場づくりにあたり、どこで、何曜日に誰が集まるかなどは住民自身が考えて頂くことした。地域包括支援センターは、必要性を住民へ説明するけれど、あえて最小限の関わりにとどめた。場所も時間も人選も、住民に任せた。「やりたいと思ったら連絡してください」と伝えるだけ。

すると、徒歩15分圏内で週1回体操をする場が、次々と生まれた。1年で30か所、実人数で500人弱が参加する取り組みになった。取り組みの中で、職員からこんな言葉が出てきた。「住民は“支援される側”じゃなくて、“担い手”だった」、「お金がない地域だからこそ、住民主体は主力になる」。対話を重ねる中で、私たち支援者側の前提が揺さぶられた。「自分たちは、住民の力を低く見積もっていたんじゃないか」そんな省察が生まれてきたのだ。

■ 対話とは「うまく話すこと」ではなく「変わっていくこと」

対話とは、相手を納得させる技術ではなく、自分の見方が揺さぶられ、「自分はこう思い込んでいたんだ」と気づくプロセスなのではないだろうか。そう気づいた瞬間に、別の選択肢が生まれる。実践が変わっていく。

溝に橋を架けるというのは、相手を変えることではなく、自分が少し別の人になることではないだろうか。自分のやり方や考え方を、少しだけ捨ててみる勇気である。

■ 多職種連携とは専門性を“供託”し合う関係

多職種連携とは、情報を集めることではなく、専門性を暮らしのために“供託”し合う関係をつくること。対話とは、うまく話すことではなく、自分が変わっていくこと。相手に近づくということは、同時に、自分が今までとは違う場所に立つということでもある。地域という共有地に、それぞれの専門性と前提を持ち寄って、揺さぶられ合いながら橋を架けていく。その営みの中に、これからの医療・介護・多職種連携の可能性があると信じている。

在宅医療に必要な連携を担う拠点の指定にあたって思うこと

令和7年8月より、北海道から「北見在宅医療圏連携拠点センター」の指定を受けた。

北見在宅医療圏連携拠点センターとは

在宅医療における必要な医療機能の確保・強化に向け、市町村が実施する在宅医療・介護連携推進事業の取組と連携しながら包括的かつ継続的な在宅医療の提供体制を構築するための連携調整を担う。北海道医療計画において「在宅医療に必要な連携を担う拠点」として指定を受け活動する。

在宅医療・介護連携推進事業との違い

北見在宅医療圏連携拠点センターは、これまで北見市から受託していた在宅医療・介護連携推進事業と似たような取り組みだ。異なるのはこれまで北見市内を活動範囲としていたものが、北見市を含む近隣4町(美幌町、津別町、訓子府町、置戸町)を範囲とし、かつ「在宅医療の推進」に限定するということだ。

また、これまでの在宅医療・介護連携推進事業は「委託」だったが、今回は「指定」となる。調べてみると指定とは「行政行為(行政処分)」のようだ。一方で委託は「契約」となる。行政法総論上の違いは私にはあまり分からない。

活動をはじめるにあたり、思うことを書いておく。

自治体ごとの「望ましい在宅医療」の抽出が肝

これまでは北見市のことのみについて活動してきた。今後はこれに加え近隣4町(美幌町、津別町、訓子府町、置戸町)が活動範囲となる。各町で医療資源の多寡がある中、それぞれの町にとって「望ましい在宅医療のあり方」を定めていく取り組みが最も重要だと思う。なぜならこれから医療資源を増やしていくことは難しい。とすれば各町で最低限どんな在宅医療がどの程度あればよいかということになるだろう。幸いに高度な医療や救急医療は北見市にある。遠くても小一時間あればたどり着く。

ポイントは日常の療養生活という身近な場所でのちょっとした身体の不調の際、受けられる医療の程度のことだ。青天井に在宅医療の拡大は求められない。資源には限界があるのだから、過不足のないレベルにできるだけ落ち着けるという現実に即した活動が求められる。ロケットを飛ばすのではなく着陸地点を定め、航続できる燃料を用い、最短に近い航路を選択することが重要だと思う。

在宅医療とかかりつけ医の浸透

「望ましい在宅医療のあり方」とは単に医療レベルや医療資源の多寡の話しだけではない。何かあった際に専門医療が必要かどうかを見極めてくれる「かかりつけ医」を住民が確保しておくということになるだろう。

私がもう20年近く通う理容室がある。そこのご主人は持病のため近隣のクリニックへ通院している。話しを聞くと主治医は投薬の必要はないと言ったが、ご主人はこれを固辞して通院し続けているという。わけを聞くと、今後何かあった時のための「転んだ時の杖」だという。ことわざの使い方は間違っているが、「備えあれば憂いなし」に近い。言いえて妙だ。

またこんな例を知り合いの医師から聞いた。脳卒中を患い地域の基幹病院で治療を受け、無事退院した。退院後は地元の医療機関を紹介され通院していた。年1回再発予防のチェックのため、入院した基幹病院で画像検査を受けている。ある日体調不良のため救急車を呼んだがかかりつけの医療機関では搬送を断られ、基幹病院へ搬送された。診断の結果問題はなかったが数日経過観察のため基幹病院へ入院したという。かかりつけの医療機関を非難するつもりはないが、まずはかかりつけの医療機関が診療を実施するべきだろう。何でもかんでも地域の基幹病院へ皆が受診していたら救急医療の資源が不足してしまう。住民自身がかかりつけ医をしっかり持ち、その役割を使い分けるリテラシーが求められる。

縮小社会における医療機関同士の役割分担の明確化

医療機関同士の役割分担とは患者さんの疾病状況に応じ診療機能を分担するということだ。まず診療所や介護施設を支援する病院を拠点としたネットワーク化が必要となる。今後、北見在宅医療圏域の人口は減少する。65才以上人口も同様だ。しかし85才以上人口は北見市でいうと向こう15年間で1.4倍増加する。日本人の平均寿命を超えた年齢層だ。こういった方々に対する医療はただ「治す」に留まらない。「治し支える」という役割が求められる。単なる肺炎で数日臥床しただけで高齢者の身体機能は容易に低下する。肺炎は治ったもののふらつくようになったら本末転倒だ。

次号へ続く

学会で基調講演をしました

去る令和7年6月14日に札幌で開催された第68回北海道医療ソーシャルワーク学会で講演しました。
いち会員を基調講演に招聘するという思い切った決断を学会事務局はしたものです。
現場のソーシャルワーカーの方に話しをすることは同じ職種のメンバーであり、気楽なようで実は厳しい評価もありえます。いままでにない緊張をしました(笑)。

講演テーマは「2040年に医療ソーシャルワーカーは生き残れるか」です。講演趣旨は「患者さんが退院して帰る地域をよくしていく(過ごしやすい地域にする)活動を医療機関へ勤めるソーシャルワーカーは自分の仕事として実践していきましょう」というお話しをしました。

今現在、医療ソーシャルワーカーは退院支援に忙殺されています。しかも短い期間で退院させよという所属機関からの要請つきです。しかし短い入院期間でしっかり退院支援をしようとしても限界があります。ならば一見我々の仕事ではないと思われる「地域をよくしていく」ことも今後は我々の仕事として引き受けてみようじなないかというお話しをしました。

道に落ちている空き缶を拾うのは自分の仕事ではありません。「こども」はそう思います。しかし「大人」は違います。大人は道に落ちている空き缶を拾うのは「みんなの仕事」だから「自分の仕事」と思います。今の日本は、「こども」の数が異常に増殖してしまった社会です。内田樹氏が述べたこの意見を講演で紹介しました。

私たちソーシャルワーカーは業務内容の明確な輪郭と専門性を示すことが難しい職種です。ともすれば誰でもできそうな仕事です。でも「道に落ちている空き缶」の例えで考えると、異常に増殖した「こども」へ語り掛け、話しを聞きながらが「大人」へ変容する可能性を最も信じられる職種だという自負はソーシャルワーカーは持っています。

出来そうだけど誰もが実施することが難しいこのことこそ、私たちソーシャルワーカーは自信を持って実践できると思います。

お招きくださった、またご参加いただいた北海道医療ソーシャルワーカー協会の皆様に感謝申し上げます。

先手相談と後手相談

相談支援には先手と後手の2種類があると思った。支援効果を今現在のことか未来への準備とするかという視点だ。これからの対人・地域支援を行う際は先手相談が有効・効果的ではないかと気づいたので備忘録として掲載する。

結論から先に述べると、これまでの生活課題が発生してからの相談支援。いわば後手の対応に終始するのではなく、生活課題が発生しにくくする、または発生しても限りなく早い段階で課題に対応することで支援にかける労力を低減する。いわば先手の活動が求められるだろうというものである。

医療分野の観点で言うと「予防に勝る治療なし」。医療の世界では常識だが、介護分野ではあまり意識されていないのではないか。事が起こってから対処するよりも、将来に大きな問題が起きぬよう予防策を講じる活動を意識して実施することが有効だろう。

先日地域包括支援センターの方と話しをしていた時のこと。これからの地域包括支援センターの取り組み、特に総合相談の在り方についての話題となった。人口減少、後期高齢者の増加、労働人口・医療介護従事者が減少するこれからの地域にあって、地域包括支援センターの総合相談体制とはどのような方向性がいいのだろうかがテーマだった。

単身世帯や高齢者夫婦世帯の増加により、ますます医療介護の課題を抱える方が増加する。それでなくても地域包括支援センターへ寄せられる相談件数は増加傾向にある。事が起こってから対処する毎日に忙殺され続け、何もしないとどうなるか。想像するに、寄せられる相談の対応待ちに1ヶ月を要するなどという自治体が近いうち生まれる可能性がある。後手相談は決して間違ってはいないのだが、縮小社会にあってこのままではまずいという支援者の意識へのギアチェンジが必要になると思う。

分かっちゃいるけどどうしたらいい

ここまでの理屈はよくわかってもらえるだろう。問題は「じゃあどうしたらいいのか」ということだ。でもよくよく考えると、地域包括支援センターの活動の中にも「先手相談」の取り組みは既に実施していることに気づく。介護予防・日常生活支援総合事業、生活支援体制整備事業や認知症総合支援事業などだ。しかしこれを「先手相談」を実現するための手段として活用するかどうかはセンスが問われる。地域包括支援センターの多くは自治体の委託で活動している。事業の目的に現場から自治体へ方法のアレンジ、加味の提案を許してくれるかどうか。自治体の懐の深さも問われよう。

しかし、現場の地域包括支援センターの方へエールを送りたい。みなさんこそが地域の個別の課題を広くかつ深く熟知しており、「このままではまずい」という実感と経験を誰よりも多く知っておられると思う。どうしたらいいかの第一歩は、自信をもって委託元の自治体とこれからの地域課題を事業の表面的なことにこだわらず、率直に語り合える場を作ろうとする情熱を持つことだろう。

先手相談とは地域住民の気づきの網の目を活用すること

日常生活支援総合事業における住民主体の通いの場(体操教室) を例にあげてみよう。通いの場とは、年齢や心身の状態等によって高齢者を分け隔てることなく誰でも参加することができ、介護予防などを目的とした活動を行う場であるとされている。(通いの場の課題解決に向けたマニュアル Ver.1 令和6年3月 厚生労働省より)。この取り組みの目的の第一義は介護予防である。しかしよくよく通いの場を観察すると、仲間づくりの場でもある。最初は知らない同士でも仲間になれば事情は変わる。通いの曜日を忘れる仲間がいれば途中で立ち寄って声をかけたりもするだろう。体操の帰りにはついでにゴミ出しをしてくれるかもしれない。仲間とは赤の他人ではなく、何かあったら気を使ってくれる存在だ。認知症の進行に仲間なら早く気がつく。かといってプライベートまで立ち入るべきかどうかは悩むところだ。そこで仲間から地域包括支援センターへ連絡が入る。「最近通いの場の曜日を忘れているみたい、どうやら飼っていた猫が亡くなって落ち込んでいるみたい」という具合だ。ここで早期の介入が可能となる。

にっちもさっちもいかない。行き詰まった状況やどうにもならない状態になってからの総合相談対応ではなく、日常生活の少しの変化をキャッチできる体制づくり。つまり住民主体の通いの場は、地域住民の気づきの網の目を細かくするという副次的な効果も狙うことができる。大切なことは、単に国から降りてきた事業をマニュアル通りに実施するのではなく、「先手相談」を実現するための手段として支援者側が意識して活動するということなのだろう。

居宅介護支援における先手相談の活用

先手相談とは地域包括支援センターの活動だけに留まらない。居宅介護支援の場面でも活用できる。ケアマネジャーは忙しい。中でもその原因は度重なる介護報酬改定の度に増える書類作成事務だ。ケアプラン作成のためにはサービス担当者会議の開催や福祉用具の使用にも、意見聴取や確認作業が求められる。まるで不正をしていない証明材料の作成業務だ。これでは利用者の疾病悪化やADLの低下に気付いても対処する時間がない。しかし利用者の変化を予測し、サービス事業所から連絡もらえるよう依頼することはできる。通っているディサービスのスタッフへ認知面低下の進行のサインがあったら連絡をもらうよう依頼したり、家族へ食事内容や飲水量の確認を依頼したりして疾病が悪化する前に対応することができよう。ケアマネジャーが一人ですべての情報収集を行うのではなく、変化のアラートをいろいろな方から受け取れるルートを作る。これも先手相談と言える。蛇足だがこの支援を検討するに有効な道具がある。適切なケアマネジメント手法である。

病院の退院支援における先手相談の活用

労働人口・医療介護従事者の減少は「退院しづらい地域」を生み出す。これまで受けられた医療介護サービスが受けづらくなる。施設への入所もままならなくなる。かといって病院へ入院し続けられるわけではない。医療機関の退院支援部門はケアマネジャーと同様忙しい。短い入院期間で元の生活場所へ戻られるならいいのだがこれが大きな苦労とストレスになっている。入院中に認知機能が低下したらなおさらだ。そこで病院の退院支援部門は大まかに2つの対策が考えられる。

一つは院内のケアチームの体制強化だ。短い入院期間で患者の意向を聞き取り、患者のニーズを実現するフラットでフットワークのよいチームワークとチームの技能向上だ。

次の二つ目が先手相談になる「退院しやすい地域づくりに病院として協力する」ことだ。これは今現在、病院が行う「しごと」ではない。しかし医療介護サービスが減少する縮小社会では、現在と同じ認知機能やADLであっても将来、自宅退院が難しくなることが想定される。前述の地域包括支援センターの地域づくりに任せてもいいのだろうか。病院ができることとは何か。地域事情や病院の機能にもよるが、地域包括支援センターが行う住民主体の通いの場づくりに協力することだと思う。住民の健康相談や運動時の痛みや対処に地域包括支援センターが助言することは難しい。地域包括支援センターの申し出に医師をはじめ、理学療法士等や管理栄養士などが積極的に協力するだけで彼らは大いに助かる。また協力活動で得られる地域の情報はこれまで病院が知るよしもない性質のものだろう。

温故知新の先手相談

先手相談は新しい考えではない。しかし私たち相談支援者は目の前の問題に忙殺され、将来に起こる問題を今のうちから軽減させるという取り組みに無頓着なのではないかと思う。そういう意味で今、改めて先手相談という言葉を用い意識して、皆で将来の問題を低減させていく取り組みや認知の拡大が必要ではないだろうか。

また、DX(デジタルトランスフォーメーション)の活用も欠かせない。対話型AIの活用による社会的フレイルの早期発見など、ヒトが減少するなか、ヒト以外でおこなえることをシフトさせ、本気で取り組もうとしている方は私の見る限り少数だ。転ばぬ先の杖を真剣に考える仲間との語りも重要になるだろう。

番外編

日本在宅医療連合学会北海道支部の北海道医療計画に対応するシンポジウムで報告しました

2025年4月19日に札幌市医師会館で開催されたシンポジウムで報告しました。
私が担当したのは「北海道各地の在宅医療連携のとりくみ」のうち「北見の在宅医療連携」です。

各都道府県の医療計画の中では、在宅医療の提供体制として
(1)円滑な在宅療養移行に向けての退院支援が可能な体制【退院支援】
(2)日常の療養支援が可能な体制【日常の療養支援】
(3)急変時の対 応が可能な体制【急変時の対応】
(4)患者が望む場所での看取りが可能な体制【看取り】の体制整備に加え、

(5)在宅医療において積極的役割を担う医療機関【積極医療機関】
(6)在宅医療に必要な連携を担う拠点【連携拠点】
の設置が行われることになっています。

「在宅医療の提供体制」を読み解き、北海道の行政関係者、郡市医師会、在宅医療関係者、介護関係者がどのように行動していくことが北海道の在宅医療の体制整備のため必要かを検討し、5年間の行動につなげることを目的として開催されました。

私の報告を忘備録として掲載します。当日のスライドは以下からどうぞ

在宅医療の二つの取り組みの方向性

在宅医療の二つの取り組みの方向性には以下の2つがあると思っています。
1つ目は「在宅医療を実施する医師や看護師の増加」です。しかし医師・看護師が不足する地方で増員は難しいのが現実です。
2つ目は「在宅医療を不要とする住民、患者の増加」です。こちらは要介護者の身体機能低下をケアプラン支援や多職種連携の推進で防ぐことがかろうじてできそうです。

北見の報告ではこのうち、二つ目を中心にお話ししました。
具体的には以下の4つです。

1.通所介護で機能維持・改善ができるように
2.医療職によるケアプラン支援で要介護の重度化率を低減。「適切なケアマネジメント手法」を多職種コミュニケーションの共通言語へ
3.望む最期を過ごせる多機関、多職種間の規範的統合
4.連携拠点の立場で在宅医療の提供体制を読む

1.通所介護で機能維持・改善ができるように
令和5年度から実施している「通所サービス意見交換会」について報告しました。
課題として北見市の要介護認定更新時の要介護悪化率が高値59.5%(要支援)で推移しており、かつ通所介護へ通っても機能低下する利用者が存在していること。
また当センターが通所介護事業所を対象とした調査結果で個別機能訓練加算Ⅰ・Ⅱを届け出している15事業所のうち、評価指標が改善した利用者いたのは6事業所のみだった(63ヶ所中)ことです。

そこで要介護者の重症化予防と悪化率の低減を目的として、通所介護事業所同士の業務の工夫や情報交換の会を開催しました。機能訓練の実施状況の調査、情報提供と方法の提案などを行う意見交換会をこれまで6回開催しました。

その結果、過去はほぼなかった他事業所間の交流で所属事業所の業務が客観視できたこと。機能訓練への関心の喚起、具体的方法を知ることができたこと。機能低下を防ぐ視点やチームケアへの関心が参加事業所で高まりました。また、ケアマネジャーのケアプランと通所介護計画の連動性が重要と気づきました。本会はケアマネジャーも参加しており、事業所の困りごとや体制を学ぶことができています。
ケアマネジャーが通所介護事業所へ提出するケアプランはどうしても漠然としたものとなってしまい、通所介護事業所で独自に評価を行いケアの質の向上へ取り組んでいるようです。今後はケアマネジャーとともに在宅介護の重要な柱である通所介護事業所の質の向上に努めていきます。

2. 医療職によるケアプラン支援で要介護の重度化率を低減。「適切なケアマネジメント手法」を多職種コミュニケーションの共通言語へ

ケアプラン立案の際、身体機能の予後予測をケアマネジャーは知らずに立てざるを得ません。また、疾病予防に対する支援内容を検討する際に医療職の助言はなかなか受けられません。訪問看護をサービスに位置付けずに、サービス担当者会議に看護師は来てくれません。仮に医療職へ相談できるとしても、どのように聞いていいか分からない、窓口や方法もないというのがケアマネジャーが悩み、ケアプランによる疾病予防の効果を減じている原因だと考えました。

そこで適切なケアマネジメント手法(以下適ケアとします)の実践研修をケアマネジャーを対象に実施し、本手法を多職種で学ぶセミナーを開催しました。さらに北海道理学療法士会道東支部の協力を経て、理学療法士によるケアプラン助言を令和4年度から実施しています。
また、北見市が主催する地域ケア個別会議でも適切なケアマネジメント手法を活用した会議を開催し、令和6年度は提出された18事例の事例集を作成しました。

この取り組みにより、適ケアは多職種間での検討課題の焦点化と解決方法の提案活用できることが分かりました。またケア会議で検討された基本ケア項目の集約と分析で地域課題が把握できました。
さらに助言を受けたケアマネジャーからは、理学療法士の助言は具体的で短期目標に活用でき、利用者と共同した目標達成への関係構築につながったという意見を頂きました。
適切なケアマネジメント手法はケアプランにおける支援内容の「抜け漏れ」を減少させ、疾病予防や機能維持につながります。また多職種連携の目的が職能の縄張り争いではなく、患者・利用者の「望む生活・暮らしの意向の把握」の実現であることを多くの職種が理解したという効果をもたらしました。

3.望む最期を過ごせる多機関、多職種間の規範的統合

令和5年度から取り組んでいる在宅医療・救急医療ワーキングチーム会議の活動を紹介しました。
本人の意思に反した(延命を望まない患者の)救急搬送が散見され、あらかじめ家族等と話合いを行っていないこと等から、望まない救急搬送が行われています。さらに救急現場や医療現場での対応にも課題が生じています。

そこで、
1.本人の意思を尊重するための在宅医療・救急医療の連携体制の構築
2.在宅や施設でのACPの取り組みの推進
3.高齢者施設における急変時対応力の向上と情報伝達の均てん化
4.DNAR意思の方の不搬送プロトコルの検討、関係機関の合意形成

これらを活動の目的として医療機関、介護保険事業所、行政や消防組合等で構成する会議を開催しています。

これまで、北見市の在宅医療・介護連携推進事業として上記の関係団体からなる会議を5回開催しました。具体的な活動として、ケアマネジャー、救急隊、高齢者施設を対象とした調査を実施するとともに、多職種による在宅医療・救急医療に関するセミナーを開催しました。またケアマネジャーへの調査結果から、比較的元気な時期からのACPへの取り組みに難渋していることが分かりまたし。さらにケアマネジャー対象に比較的元気な時期からのACPに関する研修会を開催しています。

その結果、ACPを実施している介護支援専門員は53.8%おり、開始すべき時期で多かったのは「健康なうち」からで61.5%でした。救急隊への調査結果では、令和5年のCPA件数は203件。うちDNAR事案数は9件、このうち病院搬送8件、不搬送1件でした。また救急隊の印象として、かかりつけ医とDNARを事前に協議していたケースは稀と感じることも分かりました。高齢者施設を対象にした調査では、ACPへの取り組みは44%の高齢者施設が「既に取り組んでいる」と回答していました。

今後は、高齢者の家族が医療的対応に納得したかの調査案の検討。急変時の対応や、ACP推進の研修会開催(高齢者施設向け)や、ACPを実践しているケアマネジャーの取り組みを紹介する研修会の開催を予定しています。

今回のシンポジウムのねらいである医療計画をどう読むかについて、連携拠点の立場から次の4つを報告しました。

1つ目は、消化事業にしないことです。これは連携拠点に関する道・市の要項は「取り扱い説明書」と理解して活動するというものです。私の「連携の師匠」から「要項や手引きは所詮、事業費付きの小道具集。法律の範囲内でどう使おうと自由と考える。その上で指令書は取り扱い説明書として一応、しっかり読む。」という教えです。
2つ目は「何がどうなればいいのか」を決める (取り組みゴールの明確化)です。関係者のコンセンサスは重要なのですが、「とりあえず何がどうなればいいのか」をはっきりさせておくことが必要です。ゴールが明確ならないと活動が具体的にならないばかりでなく、関係者の動機付けを低下させ、何をしているのかが分からなくなるからです。
3つ目は、現状維持でいい (というかそれがせいぜい)です。地域包括ケアの実現は叶うでしょうか。いえ、理想はあるが達成は不可能だと思います。せいぜい縮小社会で医療サービスが破綻する時期をできるだけ遅らせられるくらいという気持ちで取り組む方がストレスがありません。
4つ目は、多職種連携とは「新たな役割」への挑戦 (恒常性バイアスからの脱却)というものです。少ない医師や看護師で在宅医療が維持できるコメディカルの「新たな役割」の創造が急務です。今までのやり方や常識が通用しない時代が到来します。なにせヒトがいなくなるのです。少ない資源で患者さんや利用者を支えていくためにはこれまで専門職が常識と考えていた職域や役割から解き放たれ、役割のシェアや専門性の越境が求められるでしょう。
最期の5つ目です。そもそもの「在宅医療」の範囲を地域で確認しておくことです。在宅医療の推進といいますが、専ら訪問診療医の増加が施策として求められています。それはそれで大切なのですが、地方では医師の減少や高齢化が著しく解決は困難です。在宅医療の推進とは、訪問診療医の増加対象ではなく、訪問診療を必要とする住民をできるだけ増やさないという点で、対象は入院医療以外すべてとして活動するべきだろうと思います。

最後に「在宅医療連携をどう構築するか」について私の住む北見でどのようにするかを3つ考えました。

1.在宅医療の供給量を増加させる(訪問診療医師の増がいいけれけど…)
高齢者救急(多疾患併存)を受け入れる病院と在宅ケアチームの受け入れルール協議と、通院困難患者の通院継続を開業医と地域のケアチームで考えられる場づくりです。在宅介護を維持していくためには疾病に罹患しても入院によるダメージを軽減するとともに、再び在宅生活を送れるようにする入院医療と在宅医療チームとの協力が求められます。急性期や亜急性期の入院医療機関との協議の場が求められます。

2.在宅・施設での機能低下を防ぐ多職種連携チーム(通院困難の解消)
ケアマネジャーが医療専門職に気軽に相談できる仕組み(職能団体の社会貢献に期待)と安易に自宅退院困難と判断しない医療機関の退院支援の充実と在宅医療への理解です。ADLが低下した際、介護保険サービスだけでこれを食い止めるのは困難です。医療機関で働く多職種が入院患者のみならず、外来患者に対しADL低下を食い止める方策の充実が求められます。それには退院支援に偏重した入院医療を在宅や外来へ資源を振り向ける診療報酬の建付けが求められます。これは通院困難な外来患者に安易に訪問診療を紹介せず、外来医療で認知症の方や長いまち時間に耐えられない患者さんに対する配慮も含まれます。

3.「望む生活・暮らしの意向の実現」が在宅医療の目的という規範的統合の醸成
退院前のACPや患者の意向や方針が、「退院後に変わるのは当然」という互いの理解です。入院患者に対する退院支援はとかく「退院のための支援」になりがちです。退院後の生活継続の担い手は在宅医療担当者が実施するものではありますが、入院中の担当者も退院後の暮らしの意向を共に考え、退院後の暮らしを在宅医療担当者とともに志向する地域全体の多職種ケアチームが実現できるよう取り組みます。

最後に在宅医療において必要な連携を担う拠点を仮に実施するとした際に今回改めて感じたことを述べます。

「在宅医療の普及(訪問診療という選択肢の市民啓発)」という施策を実施できるのは札幌市を中心とした在宅医療資源が豊富な地域だけだと思いました。希望する住民に対する充分供給量があるからです。地方では希望しても医療資源には限界があります。

もうひとつは急性期医療における在宅医療を見越した支援体制の整備です。急性期は毎日多くの患者さんが入院し、短い入院期間で退院支援を実施しています。そのため通院が困難と見込まれる入院患者さんに対する支援は、訪問診療へつなぐのみで終わっている場合がありそうだと思いました。さらに急性期病院で多くの手当を望むことも人員体制の現状からは難しいと思います。在宅医療を多くの関係者に理解して推進するとした場合は急性期病院から自宅退院する方の手当の役割分担や退院後にもたらされる退院ごの患者さんの課題などを共有する場が必要かと思います。在宅医療を考える集団と急性期の病院の集団とのはらを割った話し合いが必要なにるでしょう。そこで今回のテーマの一つである「在宅医療において必要な連携を担う拠点」がコーディネーターとなり、連携協議を進めていく必要性があります。

連携協議とは、互いの言い分を吐き出させ、相互に相手の言いにくいことを受け入れ、妥協点を見つける作業のことです。連携当事者ではなく連携調整者であるコーディネーターの重要性はこの役割を担い、相互に納得できる作業だと思います。