在宅医療の鍵は「暮らし」と「納得」

令和8年2月7日に開催された、第7回北見薬剤師会 学術大会のパネルディスカッションで「北見地域 における在宅医療の現状と課題 ―薬剤師とつくる“暮らしを支えるチーム”―」というテーマでお話しをさせていただいた。忘備録としてここに掲載する。

北見地域の在宅医療は、いま大きな転換点に立たされている。北網圏域の医師数は全国平均の半分以下で、訪問診療を担う医師も限られている。一方、介護現場では人材不足が深刻化しており、北見市ではこの3年間で介護職員が345人減少し、その4人に1人が60歳以上となっている。医療も介護も「人が足りない」時代に入りつつある中で、高齢者が住み慣れた地域で暮らし続けるためには、従来のやり方の延長ではもはや支えきれない状況である。
2040年には団塊の世代がすべて90歳以上となり、北見市では85歳以上人口が約1.4倍に増加する。一方で支える側の介護人材は今後さらに減少すると見込まれている。支える人が減り、支えられる人が増える社会の中で、在宅医療の「限界点」をどう引き上げるかが、地域全体の課題である。

現場では、本人が「最期は自宅で」と希望していたにもかかわらず、急変時に119番され、そのまま病院で亡くなるケースが少なくない。また、施設に入所していても、急変時や心停止時の対応について本人・家族と十分に話し合われていない例が多く見られる。つまり、「本人の意思」が医療・介護の関係者間で共有されていない現実がある。在宅医療・介護の本質は、単に「どう治すか」ではなく、「どう生きたいか」「どう最期を迎えたいか」を支えることにある。

さらに見逃せないのが、要支援者の“静かな重度化”である。北見市では要支援2の約27%が1年以内に状態悪化しており、通所介護やリハビリに通っていても機能が低下する人が一定数存在する。軽度の段階で生活を立て直せなければ、やがて中重度となり、在宅生活は困難になる。この「軽度者ゾーン」に医療職がもっと関わる必要があり、ここに薬剤師の役割が大きく関わってくる。

薬剤師と直結する現場課題の一つが「残薬」である。北見市の調査では、ケアマネジャーの約40%が残薬のある利用者を経験しているにもかかわらず、薬局に相談しているのは25%にとどまっている。訪問看護師には約50%が相談していることから、「どの薬を、どこで、どう飲んでいるか」がチームで十分共有されていない実態が浮かび上がる。残薬は「患者さんが悪い」から起きるのではなく、「その人の生活と薬が合っていない」サインである。残薬は問題ではなく、暮らしの困りごとが見える貴重な情報源なのである。

では、なぜ薬剤師に相談されにくいのか。その理由は「顔が見えない」「役割が見えない」からである。現場で接点の多い訪問看護師には相談しやすいが、「かかりつけ薬局はあっても、かかりつけ薬剤師が見えない」という声は少なくない。役割がイメージできなければ連携は生まれない。
「残薬問題を多職種で解決する」というテーマで開催した多職種研修会では、「残薬は“飲まない”のではなく、“飲めない”ことが多い」という共通認識が生まれた。薬が合っていないのではなく、生活に合っていないのである。ここに薬剤師が入ることで、“生活に合う処方”への再設計が可能になる。在宅医療では今、「指導」から「納得」へ、「伝達」から「伴走」へ、「薬を出す」から「暮らしを支える」へというパラダイムシフトが求められている。

薬剤師がチームに入ることで、内服は単なる医療行為ではなく「生活の一部」になる。ケアマネジャーは「この人の暮らしに、この薬は合っていますか」と相談できるようになり、それが再入院予防や重度化予防に直結する。薬剤師はまさに「生活と医療をつなぐ翻訳者」である。
北見では、適切なケアマネジメント手法を用いたケアプラン支援事業に多職種で関わり、令和7年度からは薬剤師会も参画している。薬剤師に求められる具体的な行動として、①ケアマネからの相談を気軽に受ける窓口になること、②退院時処方のチェックと共有、③居宅療養管理指導を活用した生活に即した服薬支援、④事例を薬剤師会で蓄積・共有することが挙げられる。

北見が目指す在宅医療の姿は、「地域が1つの病院のように機能分担する」こと、そして「多職種が本人の意向を共通言語にする」ことである。診断や制度ではなく、「この人はどう生きたいのか」という問いを中心にチームがつながる。その中で薬剤師は、「薬の人」ではなく「暮らしを支えるチームの一員」として前に出ていくことが期待されている。

在宅医療の鍵は、「暮らし」と「納得」である。薬剤師は、生活と医療をつなぐ重要な専門職であり、小さな連携の積み重ねが、やがて地域の仕組みとなる。今日の講演が、北見の在宅医療における新しい連携のスタートになることを願う。

専門性を「供託」するということ

―地域ケア個別会議がひらく、対話と多職種連携の可能性―

昨年、とある学会のシンポジストでお話しをした。最近その講演の原稿を校正する機会があり、改めて私が伝えたかったことをまとめてみたのでここに掲載する。

この仕事をしていて現場でよく耳にするのが、「連携しているはずなのに、なぜか噛み合わない」「会議はしているけれど、暮らしが良くなっている実感がない」という声だ。その違和感の正体は、私は「専門性の使われ方」と「対話のあり方」にあるのではないかと思っている。

■ 地域ケア個別会議は、誰のための場なのか

地域ケア個別会議は、本来、ケアマネジャーが抱えている困りごとを、多職種で一緒に考えるための場だ。ところが現実には、「医師としては」「看護師としては」「薬剤師としては」と、それぞれの立場から意見を述べる“専門性の発表会”のようになってしまうことが少なくない。そうなると、会議はいつの間にか「この人の暮らしをどう良くするか」ではなく、「誰の専門性が正しいか」「誰の意見が通るか」という場所取り合戦のような場になってしまうことがある。

私はこの状況に、ずっと違和感を持ってきた。「この会議は、いったい誰のための場なんだろう」。「私たちは、何のために集まっているんだろう」と。そこで令和5年度からこの会議の発言の際に適切なケアマネジメント手法における「基本ケア44項目」を使った会議運営に変更した。ケアマネジャーには、事例を出すときに「44項目のうち、相談したいことに当てはまる項目番号」を取り上げてもらった。そして助言をする他の職種は、挙げられた基本ケア項目はもとより、必要と考える項目をその理由を付して助言して頂くようにした。つまり「どの項目に関わる支援なのか」「なぜ必要なのか」「どう展開するのか」をセットで話すこととした。

自由に思いついたことを言うのではなく、「この人の暮らしにどうつながるか」を軸に発言するルールである。最初は「窮屈だ」「猿轡をはめられたみたいだ」と言われた。でも続けるうちに、会議の空気が変わってきた。

医師からは「顔が見える連携だけでは足りない。何のために集まっているのかを共有しないと意味がない」
薬剤師からは「会わない利用者さんの暮らしを想像して支えることが、私たちの仕事なんじゃないか」
そんな言葉が出てくるようになった。

■ 専門性を“供託”するという発想

私はこの変化を「専門性の越境」と呼んでいる。専門性を磨くこと自体は、とても大事だ。でも、それに固執すると、相手の世界が見えなくなる。一度、自分の専門性を横に置いてみる。そして患者さんや利用者に対し「この人の暮らしに何が必要なのか」を考える。そのとき、専門性は“目的”ではなく“手段”になる。言い換えると「専門性を供託する」というイメージだ。専門性は私のものだが、私だけのものではない。地域または会議という共有地にいったん差し出してこそ、別の使われ方が生まれる。

多職種連携とは、専門性を競い合うことではなく、専門性を“預け合う関係”をつくることなのだと思った。

■ 住民は「支援される側」ではなく「担い手」

もう一つ、大きな転換になったのが、住民主体の通いの場づくりだ。通いの場づくりにあたり、どこで、何曜日に誰が集まるかなどは住民自身が考えて頂くことした。地域包括支援センターは、必要性を住民へ説明するけれど、あえて最小限の関わりにとどめた。場所も時間も人選も、住民に任せた。「やりたいと思ったら連絡してください」と伝えるだけ。

すると、徒歩15分圏内で週1回体操をする場が、次々と生まれた。1年で30か所、実人数で500人弱が参加する取り組みになった。取り組みの中で、職員からこんな言葉が出てきた。「住民は“支援される側”じゃなくて、“担い手”だった」、「お金がない地域だからこそ、住民主体は主力になる」。対話を重ねる中で、私たち支援者側の前提が揺さぶられた。「自分たちは、住民の力を低く見積もっていたんじゃないか」そんな省察が生まれてきたのだ。

■ 対話とは「うまく話すこと」ではなく「変わっていくこと」

対話とは、相手を納得させる技術ではなく、自分の見方が揺さぶられ、「自分はこう思い込んでいたんだ」と気づくプロセスなのではないだろうか。そう気づいた瞬間に、別の選択肢が生まれる。実践が変わっていく。

溝に橋を架けるというのは、相手を変えることではなく、自分が少し別の人になることではないだろうか。自分のやり方や考え方を、少しだけ捨ててみる勇気である。

■ 多職種連携とは専門性を“供託”し合う関係

多職種連携とは、情報を集めることではなく、専門性を暮らしのために“供託”し合う関係をつくること。対話とは、うまく話すことではなく、自分が変わっていくこと。相手に近づくということは、同時に、自分が今までとは違う場所に立つということでもある。地域という共有地に、それぞれの専門性と前提を持ち寄って、揺さぶられ合いながら橋を架けていく。その営みの中に、これからの医療・介護・多職種連携の可能性があると信じている。