情報アンテナの張り方と戦略の立て方

年齢を重ねて気づいたことがある。それは物事を白か黒できっちり分けられなくなったということだ。白の中にも黒の要素があり、その逆も言えそうだ。単純化出来なくなったと言えば恰好がいいけれど、それだけではない気がする。きっちり分けることに意味が無いように感じたからた。曖昧にしておくことはいわば中腰の姿勢のままいるということで、収まりが悪いし疲れる。そう疲れなくなったというべきなのだろうか。

とある県のソーシャルワーカー協会での勉強会へ呼ばれた。タイトルが上記だったので色々思案した。方法としてはあるのだけれど、何か違和感を感じていた。その違和感のままつづった文章を以下に挙げておく。

1.はじめに

業務上や協会活動を行う上で、事前に情報があれば意見して失敗しないように、また目的に行き着く根拠がしっかり示せるようになりたい、という意見に応える研修を考えました。
50才を過ぎ、21年間働いた職場で色々ありまして、昨年(平成29年)10月に新しい職場で働き始めました。今までは、目標を達成するために情報収集をして、最短距離で目標を達成するための方法(これを戦略というのでしようけど)を考えていました。でも最近少し考え方というか自分の中の「軸」が変わったように思うのです。軸とは自分の中の考え方の指針というか指向みたいなものでしょうか。他人よりも仕事を上手くやるために、相手を出し抜くとか、何かうまい方法を探るやり方に興味が無くなったのです。これは私自身も意外な感覚で驚いてます。
そんな自分が今回「情報アンテナの張り方と戦略の立て方」についてお話しする事になりました。お題に対する現在の私のメッセージは依頼とは真逆になりました。「上手くやろうとしない」「目的よりも活動そのものを楽しむ」ということです。つまり「どう戦略を立てるのか」より、手がかりのない未来を想像し、真っ白な紙に「自分の経験と頭」を頼りにどうするべきだろうかと考えること。そのために自分自身が「何をしてきたか」よりも「どう考えてきたか」について、自分自身が「なぜそうしてきたか」に注意深く振り返ることがとっても大切だということをお伝えしたいと思います。

2.「弱い現実」と「強い現実」

自分にとっての「弱い現実」と「強い現実」を識別する知性が大切だ、という文章にいたく納得しました(注1)。もしもある出来事が起きた場合に「それから後に全く変わってしまったもの」と、もしもある出来事が起きたとしても「それから後もあまり変わらなかったもの」があります。両方とも同じ「現実」なのですが、どの路線を選んでも変わらないものがある。前者が「弱い現実」で後者が「強い現実」です。私は高校生の時、哲学の先生になろうと思いました。結局医療ソーシャルワーカーになりましたが、今私が読んでいる本の種類は先生になったとしても現在もきっと同じ本を読んでいるだろうと思うのです。それが私にとっての「強い現実」です。
きっと皆さんご自身も同じように身の回りの出来事に関わらずきっと出会っている人や自分の考え方などの「強い現実」があると思うのです。業務や協会活動を行う上で今までもこれからも、制度や職場や業務内容が変わってもきっと同じ結果になっている「強い現実」があると思います。戦略や戦術を勉強することは大切なのですが、自分の中の「強い現実」を識別して、常にそこに軸足を置いていさえすれば振り回されずに「ほんとうのこと」を見失わずに多少回り道をしてもそこへ歩めるのではないかと思うのです。

3.地頭力を鍛える

過去の時代で上手くいったことが今後もうまく行くとは限りません。特にこれからは(既に)人口構造の変化、経済成長の鈍化、人々の生きる意味(価値観)の変化が起きています。どこまで変化するかは良くわかりません。逆に過去の失敗が未来の成功のカギになる場合だってありそうです。ともあれこれからは未来への処方は過去には存在しないと思っていた方が良いでしょう。
地頭力という言葉があります。既知のツールやフレームワークがない課題に対しても、自分でツールやフレームワークを作ってしまうような考え方ができる力だそうです。地頭力がある人というのは、公式や定理を応用するのがうまい人ではなく、新しい公式や定理を考え出す方の人です。戦略とかいったテクニックというより、混沌とした時代の先を読み「既存の知識や方法論を使わず、たとえ知識の全く無い未知の分野であっても、自分の頭と経験だけを頼りに、自分なりの切り口や捉え方で、物事の本質や問題の根本に近づくことが出来る力を身に付けるべきなのでしょう。
退院支援が入退院支援に名称が変わるとか、人生の最終段階における意思決定を医療チームで実践するとか、どこへ退院すると在宅復帰となるかとか、それはそれで大切なのですが、制度をどう上手く活用するかより「そのことはどう考えたらいいのか」という自分自身の考えに注意深くなり、すぐに回答を求めず考え続けてみる、ということが最も大切なような気がします。時代とか価値観は少しずつ変わっていくのですが、これを読み取る手法はマーケティングではなく、自分自身の内側にこびりついた体験と想像力なのでしょう。

4.ソーシャルワークは「仕事」じゃなくて「授かりもの」

自分で選んだ仕事だけど、「選ぶように神様が仕向けた」と思ってみてはどうでしようか。道に空いた穴です。穴が空いていると人が落ちて困ります。だから埋めます。この穴は自分に合ってないとか、関係ありません。まず埋めます。そうすると社会が病院を通じてお金をくれると考えると私たちの仕事に奥行きが出来るような気がします。仕事は私たちが生まれる前からあるのです。養老孟司氏は「合うとか合わないとかいうよりも大切なのは、いったん引き受けたら半端仕事をしてはいけないということです。一から十までやらなくてはいけない。それをやっていくうちに自分の考えが変わっていく。自分自身が育っていく。別の言い方をすれば仕事はおまえのためにあるわけじゃなくて、社会の側にあるんだろうということです。(注2)」
逆説的な考え方ですが、人は仕事に行き詰りたがっているのではないでしょうか。簡単な仕事じゃすぐに飽きるから。難しいから、葛藤するからその仕事に打ち込むまではないでしょうか。そうしていると仕事が自分を育ててくれます。ソーシャルワーク自体を楽しむ。製造業で言う商品は我々でいう所の面接やネットワーキングでしょう。難しくて高度なコミュニケーションだから行き詰まりもやりがいもそこにありそうな気がします。(2018/1/26)

(注1) 街場の戦争論 内田 樹 ミシマ社 (2014年)
(注2) 超バカの壁  養老孟司、新潮社  (2006年)

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